電話を取ると、電話の主は先輩の奥さんだった。
とても低姿勢に、そして遠慮がちに
「あの、中村と申します。えっと、高田さんから、奥様がブログをされていると夫経由で聞きまして、ブログ全部拝見しました…有料記事も全部。あの、うちの子なんですが、ご主人からお聞きになられたと思いますが、恥ずかしながらずっと何年も家から出られない状態で…。でも、奥様は不登校だったお嬢さんを数か月で学校に復帰させたって聞いて、なんとかお話しだけでもと高田さんにお願いしたら、奥様がこころよく引き受けて下さったって聞いて、本当にありがとうございます。」
「はあ…。」
話が全然違う。あきれて言葉もでない。
やっぱりだ。
うちの夫は私がひきこもりだったことだけでなく、ひきこもりブログを書いていることや娘のことまで言いふらしている!しかも会社で!なんて能天気な男なんだろう!
こころよく引き受けた?誰が?
帰ってきたら、問い詰めてやる!
「あの…ご迷惑でなければ、一度ご相談に乗っていただけますか?本当に困っているんです。もう、どうすればよいのか…、私も眠れない日が続いて。」
中村さんは最後、涙声だった。
私は断ることができず、とりあえず中村さんと会うことになった。
もちろん、その夜、夫を問い詰めたが、
「だって、先輩かわいそうだったし、先輩の頼み断れないじゃん。」
と、悪びれる様子もなかった。
中村さんのお宅は我が家からそう遠くない距離だったが、いきなり伺うことは躊躇われたので我が家にきてもらうことになった。平日の昼間、私はコーヒーとお茶菓子があることを確認して、中村さんの到着を待った。
呼び鈴が鳴り、私はインターホンのモニター画像を確認すると、ご夫婦の姿が見えた。あれ?奥様だけじゃないんだ。平日なのに?と戸惑いながらもドアを開けた。
部屋に通しながら、夫婦を観察した。
暗い顔の奥様。目の下にはくまを作っている。
ご主人はいかにも業務用の笑顔を作っていた。
私は当たり障りのない、「家すぐにわかりました?」「今日は天気いいですよね、ずっと雨だったから気持ちいいですね。」などと声をかけた。
ご夫婦も当たり障りのない返事をした。
ソファに座っていただき、私はコーヒーにしようかと思っていたが、なんとなく奥様の顔色を見てハーブティーを淹れることにした。
ハーブティーと菓子鉢をテーブルに置いて、一息ついてから話しかけた。
「直接、こうやってご相談を受けるのは私も初めてなので、もし失礼があったら申し訳ないのですが…えっと、ざっくりとは夫から聞いてはいるのですが、詳しくお聞きしてもよろしいでしょうか?」
わーっと奥様が泣きながら話し始めた。
「とにかく食べるんです、もともとは華奢な子だったのに、とにかく食べて食べて食べて、吐くんです。で、買ってこい!って。私に食べ物を買いに行かせるんです。朝は必ずケーキを3つ食べるんで、それも買いに行かないと行けないし。お金もとてもかかって、私もくたくたで。買いに行かないと、冷蔵庫の冷たいウインナをそのまま食べ始めたり。一番びっくりしたのは、豆腐のパックを破って、醤油かけて手づかみで食べて。あと、お前のせいだって蹴るんです。椅子を振り回して、壁はめちゃくちゃで、穴も開いて、猫のことも、あんなにかわいがっていたのに首をしめて…。」
痛いよ。
悲しいよ。
寂しいよ。
怖いよ。
娘さんの心の叫びが聞こえる。
こちらが苦しくて聞いていられない。
冷静を装って、私は落ち着いた声で言った。
「で、どうしたいんですか?お嬢さんのケーキ代が心配なんですか?買いにいくのが面倒なんですか?私が代わりに買いに行きましょうか?猫が心配なんですか?家の壁が心配なんですか?」
とは、言わずに、
「そうですか…。」
とだけ言った。
続きます。