ある人のブログにこんなことが書いてありました。
「不登校」がもっと認知されて社会に受け入れられるといいな。
これって、誰が言ってるの?って思いました。
不登校が認知されたら、大手を振って不登校児が外の世界に出られるとでも思っているのかな?みんなが優しく受け入れてくれるとでも思っているのかな?
私はそんなことを思ったことはありませんでした。不登校・ひきこもりに理解のある社会になって欲しいなんて微塵も思いませんでした。思ったのは、学校に行きたいってことと社会に出たいってこと。でも、私にはきっとそれはできないって、諦めにも似た感情がありました。
私を受け入れてくれない学校なり社会が悪いんじゃなくて、私が悪いって思っていました。
もちろん、学校にも社会にも改善すべき部分は多々あると思っています。けれどそれとこれとは別の話しです。
それに、こんな考え方が蔓延すると、極端な思考に走りやすい怒りを秘めたひきこもりは暴力的になります。
ああ、自分が悪いのではなく社会が悪いのだな・・・と。
「失うものがない」
失うものがない人ほど恐ろしいものはないです。
私は、その気持ちがとても良くわかります。痛いほどわかります。積み上げたものがない人、階段を上ったことがない人はいつでも社会をぶっ壊すリセットボタンを押せるんです。本当は大切な家族がいるんですけどね。
でも、自分で一歩ずつ階段を登り始めたら、失うことが怖くて極端な思考・行動は影を潜めました。