夫は温厚な人で、私が怒られることはほぼないのですが、
一つだけ注意されることがあります。
理詰めの暴力
これは私の両親もそうなのですが、我が家の伝統芸というのか?
とにかく理屈っぽいところがありました。「ありました」というのはもう私は理屈っぽくないと自分自身を信じたいからです。
昔、よくこれで夫や子どもたちを追い詰めてしまっていました。そのことが夫から見ると気になったようです。
なぜ○○と思ったの?
なぜ○○したの?
○○するためには何が必要だと思うの?
分かり合えるためには会話が必要と思っていましたが、どうやら順序が違うようです。
家庭の中に必要なのは寛容です。言葉で理解するのではなく全てを許し許される愛情だと今更ながらに気付きました。
一緒に食卓を囲み、くだらない冗談で笑う。
場は和み、頬は緩む。
そして必ず受容されると確信があって初めて本音が出るのです。
受容される確信がなければ本音は出ません。
本音を否定されたら、生きていけないからです。